Tagged: 野鳥

機材

台湾1/6:金瓜石鉱山、十三層遺跡(金瓜石十三層遺址)
台湾2/6:九份、基隆
台湾3/6:三峡、鶯歌、龍山寺
台湾4/6:西門町、頂好、台北101
台湾5/6:菁桐(平溪線)、 青桐炭鉱
台湾6/6:十分(平渓線)、新平渓煤礦、十分瀑布

台湾に初めて行ってきた。
機内泊含む「三泊五日」の旅程だけれど、極力旅費を削った結果、深夜着の深夜発となり、実質三日。これが色々大変だった。
まず、桃園国際空港から台北市内へは台北捷運(MRT)で行けるのだけれど、深夜着の便だった為これが使えず、バス待ちの長蛇の列に並んだ挙句、結局タクシーに。市内まで五千円くらいかかり、時間労力のロスを考えるともうちょっとマシな便にすべきだったかもしれない。深夜のせいか入国審査もやたら時間がかかり、1時間くらいかかった。
その為、ほとんど徹夜状態で初日の観光をスタート。

中山地区にとったホテル周辺から台北駅に向けて歩く。周辺は飲食店やマッサージ店の多い繁華街。


雰囲気としては、ちょっと前の日本と沖縄を足してニで割ったような感じ。先進国なので交通も便利で何も不安なく、しかも結構日本語が通じて、看板も漢字なので割合直観的にわかる。非常に楽ちんなのだけれど、犬が全然つながれていなかったり、おっちゃんがその辺でグダグダしていたり、程よい緩さがある。



レンジャーの人?が壁で訓練していた。これ、専用の施設ではなく普通のビルだと思うのだけど、こういうくらいの緩さが丁度良い。


というわけで台北駅から台鉄(TRA)に乗って瑞芳(ルイフォン)駅へ。
ちなみに台湾の地名は漢字音読みと比較的音に忠実なものと二通り読めてしまうけれど、音読みは勿論、カタカナ読みでも大概通じないので、漢字文化圏の伝統に則って日本語式音読みで良いのではないかと思う。けれどもその日本語式の読みも思いつかない無教養なワタクシたち、瑞芳のことは最後まで覚えられず「あの、瑞穂みたいなヤツ」と呼んでいた。




ごちゃごちゃとした町並みを抜けてバスターミナルへ。ここで金瓜石行きのバスに。
金瓜石はジングアーシーみたいな音らしいけれど、当然わたしたちにはわからず、日本語音読みでは「きんかせき」。しかしそもそもずっと瓜を爪だと思っていて「きんつめいし」と、もうさっぱり意味のわからない読み方をしていた。台湾の人、ごめんなさい。きんつめいし。

さて、バスにごとごと揺られていくと、金瓜石黄金博物館のところで何故かマイクロバスに乗り換えさせられる。よく飲み込めないまま言われるがままに乗っていくと、めちゃくちゃカッコイイ廃墟の横を通り過ぎる。「うおおおおっ!」と窓にかじりついている間に、バスは山を下って海の前まで来た。そこが終点で折り返すらしいけれど、わたしたちとしては廃墟が見たい。そこで運転手さんに「あの山の上まで行く方法はないのか」と英語日本語混ぜて尋ねると、どうせ帰り道なのでそのまま乗せていってやる、という。素晴らしい。中華民国万歳!
そしてめでたく一番山の上の「天空之城 十三層遺址」辺りまで戻り、そこから海までぐねぐねと歩いて下りてくることができた。

金瓜石鉱山はかつて東北アジア随一と言われた金鉱山。1890年(明治23年)に発見され、1895年(明治28年)からの日本統治時代に開発が進められた。金瓜石の住民は最盛期の1930年代半ばには15,000人にまでなり、1936年の採掘量は金5t、銀15t、銅11,000t。 1938年(昭和13年)頃の産金量は7万両を突破し、1939年の従業員数は9,448人(日本人747人、台湾人6298人、大陸の温州、福州などから来た出稼ぎ労働者2443人)に膨れ上がった。太平洋戦争も末期に近付くと業績も下降、1943年(昭和18年)に金の生産が中止、翌1944年には銅の生産も中止となり、やがて終戦を迎えると鉱山は一時閉山となった。終戦後、中華民国統治下で一時的に活気を取り戻すが、鉱脈は次第に尽き、1985年に廃鉱となった。(Wikipedia要約)

ここから下に見えるのは十三層遺跡(金瓜石十三層遺址)







途中、聞きなれない野鳥の声が気になっていたのだけれど、多少なりとも写真に収められたのはこれだけ。どうもシロガシラのようだ。ヒヨドリの仲間だけれどもっと複雑な囀りをして、日本では南西諸島にのみ生息するらしい。確かにギョーギョーと喧しい声ながら、ヒヨドリと違って歌らしい歌になっていた。











ここは黄金瀑布という観光名所になっている。



バス停に猫。





このアングルの写真がよく紹介されているが、壮観である。



これは普通のムクドリだと思うけれど。


この調子で海のところまで戻ってきた。最高である。

ちなみにこの海がなかなか荒々しくてカッコよかった。

それは良いのだけれど、海際まで戻ってきてからの交通手段がよくわからない。金瓜石鉱山博物館の方に向かって見学しても良かったのだけれど、お腹が減っていたのでもう少し何か食べられそうなところに移動しよう、ということで、九份行きのバスに乗ることにした。
これがなかなか来ないため、炎天下で随分待った。
駐車場をウロウロしている三本足の野良犬がいて、わたしたちと犬で日陰を求めてただひたすらボーッとしていた。


台湾1/6:金瓜石鉱山、十三層遺跡(金瓜石十三層遺址)
台湾2/6:九份、基隆
台湾3/6:三峡、鶯歌、龍山寺
台湾4/6:西門町、頂好、台北101
台湾5/6:菁桐(平溪線)、 青桐炭鉱
台湾6/6:十分(平渓線)、新平渓煤礦、十分瀑布

写真ブログ 東京風景写真

総武線新検見川駅からスタート。
駅近くにいくつか廃物件があるものの、普通の都会。特段味わいがあるわけでも寂れているわけでもない。


プーさん。

さて、検見川送信所
日本で初めて短波による標準電波を送信した施設。1926年(大正15年)4月1日開局。1979年(昭和54年)9月2日廃止。

検見川送信所を見た後、一旦新検見川駅に戻り、電車で西千葉駅に移動。
そこからぶらぶら歩いて行くと、千葉市中央コミュニティセンター・松波分室というのがあった。


「大木ナカさんから市に遺贈された邸宅」とあり、個人宅だったらしい。凄い立派な庭。

そこから千葉公園まで歩く。


小雨で、桜はまだほとんど咲いていない。


SLが保存されている。NSU5というらしい。

そして陸軍鉄道連隊架橋演習用橋脚。千葉公園は陸軍鉄道連隊の演習場だったらしい。


荒木山。


綿打池。


キンクロハジロがいる。

そして鉄道連隊演習線訓練用トンネル


デカい! 結構見応えがある。

そこから千葉駅近く、栄町の風俗街に潜入。


クラブ・マジョルカ


ソウル物産。建物は古いけれど店は現役らしい。


英国館。風俗店だったらしいけれど、二階以上は現役マンションらしい。


ここも現役店らしい。


猫。


隣にも猫。


三越千葉店。閉店したらしい。でも外から見ると明かりがついている。

おまけ。千葉公園にいたカラス。巣作りのために木の皮をめくっている。

写真ブログ 東京風景写真

 ちょっと前になるけれど、東川口駅から東に進み、綾瀬川を渡り県民健康福祉村公園、そこから浦和美園駅に向かう、というコースを歩いた。

IMG_1985

 武蔵野線の東浦和、東川口、南越谷あたりのエリアには何度も来ているけれど、なかなか最果て感があってイイ。
 と言うと住んでる人に怒られそうだけれど、鳥を見に来るには良いところで、かつこういう住宅地と農耕地が入り混じっているようなエリアがとても好きなのだ。
 のどかな田園風景というほど田舎ではなく、都会でもない。
 田んぼがあるけれど、その向こうにすぐ住宅や工場が見えるくらいなのがイイ。

IMG_1987

 鉄塔、工場、田んぼ、なんだかよくわからない草っぱら。
 このクサッパラが素敵。埼玉郊外原風景という感じだ。
 これがほんとの農村地帯とかだと山がちな風景になって、それはそれで別のもっと収まりの良い風景になってしまう。

IMG_1993

 金網と消費者金融のブリキ看板。郊外だなぁ。

IMG_2003

 美しい三叉路。

IMG_2004

 ドラム缶を激写しているおじさん。

IMG_2005

 kiwi氏。傍から見たらかなり怪しい人だ。

IMG_2019

 ポンプで水を組み上げていた。

IMG_2027

 進む埼玉。

IMG_2026

 工業と農業が入り交じる感じ。

IMG_2028

 埼玉県民にはお馴染みのウラチュ~のうららちゃんはドットが荒い。

 県民健康福祉村公園を経由したはずなのに、ほとんど写真を撮っていなかった。
 ランニングコースが一方通行になっていて、歩くときに気を使った。
 二人乗り自転車などでも遊べるし、ジム施設などもあって結構本格的。

IMG_2032

 そして埼玉県のマスコット「コバトン」はシラコバトがモデルだけれど、本物のシラコバトは動物園でしか見たことがない。

IMG_2037

 そして浦和美園駅の近くのこの場所。
 調整池のような場所なのだけれど、天国のような草っぱらが広がっている。地図で言うとここ。かなり広い。

IMG_2038

 カメラをいじっていたら変なモードで写真が撮れた。

IMG_2051

 オオヨシキリが鳴いていた。トリミングなのでかなり画像が荒い。

写真ブログ 東京風景写真