志免鉱業所竪坑櫓、宇美八幡宮、大谷炭鉱、勝田炭鉱

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訳あって?福岡を訪れた。朝一の飛行機で福岡空港へ。

空港から直接37番バスで下志免へ。そこから歩いて行くと、早くも第一のお目当てが遠くに見える。

おおおッ! デカい! テンション上がる!

でも、そこに到達する手前に勝田線の遺構が残っている。志免駅が公園化されて一部保存されている。

さて、本丸。志免鉱業所(志免炭鉱)の遺構、志免鉱業所竪坑櫓である。

志免鉱業所の採炭夫を昇降させ、石炭を搬出するための施設。地上にある櫓の部分は1941年(昭和16年)に着工し、1943年(昭和18年)に完成。地下の竪坑は櫓の完成後1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけて開鑿された。1964年(昭和39年)に閉山となった。高さ47.65メートル、長辺15メートル、短辺12.25メートル。石炭層に垂直に掘られた竪坑が地下430メートルまで延びている。
なんかね、こういうちょっと昔の人が凄く頑張って作ったものを見るとじーんとしちゃう。ありがとうありがとう。昔があって今がある。

第八坑連卸坑口(だいはちこうつれおろしこうぐち)。
1938年に完成した煉瓦製の坑口で、隣の本卸坑口と対になっている。傾斜角は30度、延長距離は929.1mあったが現在では内部で閉じられ中には入れない。本卸坑口よりわずかに小さい高さ3.15m、幅4.5mのコンクリート製アーチ構造で、巻上機が坑口からおよそ100mの位置にあって、トロッコを使って硬(ぼた)や資材、人を運んでいた。

第八坑本卸坑口(だいはちこうほんおろしこうぐち)。
1938年に完成したコンクリート製の坑口で、高さ3.2m、幅4.5mのアーチ構造をしている。傾斜角は40度、延長距離は690.8mあったが、今は坑口上面で閉じられている。石炭の運び出しと空気を送るための坑道として使われていた。石炭を入れて運んでくるスキップという箱が坑道を出たところで櫓でひっくり返り、中の石炭はその下を走っているベルトコンベアに落とされてそのまま西側にあった選炭場まで運ばれる仕組みだった。

第五坑西側坑口(だいごこうにしがわこうぐち)。
高さ2.5m、幅3mのコンクリート製アーチ構造。5度の傾斜で地下に伸びる坑道には10mおきに台座があって、ベルトコンベアのための坑道だったらしい。竪坑から彫り上げられた石炭は北に伸びる約70mの地下道を運ばれ、この坑道を通じて選炭場まで送られていたという。

さて志免炭鉱を後にしてバスで宇美方面へと移動。途中で宇美八幡宮があることに気づき下車。

宇美八幡宮は旧県社、安産の神として知られる。神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、敏達天皇3年に応神天皇を祀ったのに始まる。「宇美」の地名も「産み」に由来するという。

子宝の神様ということからなのか、ちびっこ相撲の子どもたちが沢山いた。

スイートポテトたいやきなるものを食す。

しかし私の目的はここではなく、大谷炭鉱。十月にも関わらず真夏並の暑さ、汗だくになりながら炎天下をひたすら歩く。

しかし結局、明らかな遺構は発見できず。唯一、下のものが橋梁跡のようにも見えるけど違うかもしれない。

これ以上探すと熱中症で倒れてしまう、ということで、次のポイントに移動。結局大荷物で歩くのだけど。

途中にあったシブい看板。

やってきました、勝田炭鉱

紛れもない遺構がガソリンスタンド裏にそびえ立っている。
ここ、このコンクリート遺構のすぐ脇が上の道に昇る歩行者用の階段になっているので、すぐ脇まで近づいてみることができる。しかし夏場は草が繁茂していて、近いとかえって見られない。ガソリンスタンド側から見上げるのが一番ちゃんと観察できる。

さて、ここで切り上げて、香椎線の宇美駅へと向かう。


おばあちゃん。


かかし。


香椎線の線路。


リアルな方の訓練兵団。

明治高田炭鉱、博多住吉神社につづく。

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