小平市都道328号線建設予定地、不死のものとの戦い

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小平市都道328号線建設予定地に行ってきた。
この問題を知ったのは國分功一郎さんの『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』がきっかけ。

滅茶苦茶面白い本なのでぜひ読んで頂きたいけれど、詳しいお話は後で書きます。
道路建設と反対運動などというと、ベタは市民運動系左翼のお話っぽくて辟易するかもしれないけれど、なかなかこの話題は奥が深い。
それはともかく、個人的には道路云々以前に、建設予定の半端に地上げされた空き地などが好きで、物味遊山でやって来た。

まずは新小平駅から出発。西の方に歩いて行くと、小川町という交差点がある。ここまで府中街道が南下してきて、東に曲がり、少し先でまた南に折れる。この鍵型の道路をまっすぐにしたい、というのが小平市都道328号線の問題だ。
この交差点の北側は大型量販店などが並ぶ典型的なロードサイド風景。一方、ここから南は道が細くなり、一転して閑静な住宅街が続く。

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ここが建設予定地の北端。

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工事予定の看板が出ている。

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細いながらも道が続いていて、特に変わったところはない。
ただ、両側は割と大きな家が続いていて、高級住宅街なのだとわかる。
多分、この道の左側を壊して道を拡張するのだろうけれど、残った右側にとっても風景が一変することになる。

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地上げされたらしい土地があり、フェンスで囲まれている。
個人的には萌える風景だ。

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根古坂児童公園。

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次第に両側に空き地がの不気味な風景が現れる。

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ここも空き地。

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ここも一区画がバリケードで囲まれている。

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たかの街道交差点のちょっと西あたりまで南下してくると、小さな公園がある。
この公園がいかにも荒んでいてぎっちりフェンスで囲まれていて、なかなかカッコいい。
地元住民の方にとっては不気味かもしれないけれど、被写体的には萌える。

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建設反対の看板を出している家がちらほら見受けられる。
ここに住み慣れた人の立場からすれば、それは当然反対するだろう。
予定地北端より北の、いかにもファスト風土な味気ない風景に比べると、予定地は子育てにもぴったりな落ち着いた住宅地だ。
それが根こそぎ破壊されるとなれば、住民としては面白くないのが当然だと思う。

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細い住宅地らしい路地と猫。

ここから更に南下すると、小平中央公園にぶつかる。
航空写真で見てもらえればわかるけれど、小平中央公園の西側は運動場などの設備、東側は雑木林になっている。
なかなか貴重なエリアだと思うのだけれど、この雑木林部分をまるごと潰して道路にする予定らしい。
道路予定地の外にも遊歩道の備えられた林が続いているのだけれど、真横に馬鹿でかい道路が通れば、ここも趣が一変するだろう。

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予定地は立入禁止になっている。

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気持ちのよい散策路。

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林の向こうにはフェンスがあり、その向こうは道路予定地。

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「たちいりきんし」の看板が気持ち悪い。

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小平中央公園の南側で、予定地は玉川上水のぶつかる。ここは橋をかける?らしい。

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その先も南に向かって予定地は続いてて、ところどころに不自然な地上げ後がある。
ここも駐車場の脇の小さなスペースがまたフェンスで囲まれている。どっちも何も建物がない、ただ舗装されただけの土地なのでへんてこりんに見える。
フェンスの右が駐車場、左は意味のわからない囲まれた土地。

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かまきりが死んでいた。

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反対運動の看板。

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果樹園がある。
こうした都市菜園は非常に重要だのだけれど、ここも潰されてしまうのだろうか。

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囲まれた土地。

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上水本町交差点の西側で予定地は終わり、ここから南は既に道路建設が始まっている。

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建設現場のフェンスの横を歩く。

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オマケで、恋ヶ窪駅近くの廃店舗? 一番右の焼き鳥店は現役だと思うけれど、落書きが凄い。

と、お散歩してみたのだけれど、上にも書いたけれど、住民の立場であれば反対するのが当然だし、部外者としても、これだけの自然や静かな住環境を破壊する意味はよくわからない。
府中街道の渋滞緩和が目的らしいけれど、この道路建設計画は五十年前くらいのもので、今では状況もまるで違う。北端の交差点は確かに渋滞のネックになりそうだけれど、道路を無理に通すより交差点を広げて改良する方がずっと安く済む。國分さんは右折・左折レーンを整備すればこと足れるのではないか、と書かれていたけれど、素人目には確かにそう見える。
一方で、変に小奇麗な住宅街で、反対してるのもどうせプチブルリベラルなマダムなんだろうと思うと、踏み潰してしまえ!クソが!という卑屈な感情もわからなくはない。こういう僻み根性というのが、以下で触れるシステム的なものに流入して強化している、という、魔術的状況がある。

面白い、と言ったら怒られるのだろうけれど、國分さんも書いている、行政の硬直したシステムというのが、この問題の一番興味深いところだ。
はるか昔に決定された計画を粛々と実行していて、当事者も含めて誰一人得しない状況になっても、誰も止めることができない。
本の中で、反対派の住民が「わたしたちは歳をとりましたが、あなたたちは変わらないですね」という下りがあるのだけれど、これは極めて示唆的で、相手になる行政は数年後とに担当者が変わっていくので、永遠に歳を取らない。言ってみれば、人間たちが束になって、不死の存在と戦う構図になる。
実際に顔を見せる担当者らというのは、単に言われた仕事をやっている公務員であって、特段悪辣な意志を抱えているわけでもなんでもない。ここが非常に重要なのだけれど、実は権力とはそういうものなのだ。「権力の横暴許すまじ!」みたいな文脈で見ると、なんだか物凄いワルな、土地成金みたいなオッサンが、地も涙もなく貧しい人を踏み潰してるような絵が浮かぶけれど、本当の権力というのは、味も素っ気もない、ただの公務員の集合体である。しかも、まったく悪意などない。
正確に言えば、公務員たちは受肉している肉の方で、乗り移る亡霊は目に見えない。
この亡霊というのは、例えばハサン中田考先生のおっしゃる法人の問題などと重なっていて、人ならぬものが人のフリをして、不死のものが増殖している。それこそが邪神、偶像というもので、破壊しなければならないものだ。システムというのはそういうものである。
わたしたちの敵は、邪悪な悪の首領などではなく、真面目で仕事熱心な公務員や会社員たちであり、それに乗り移った亡霊である。この亡霊は、人間的な悪意とか感情で動くものではなく、粛々と増えるがん細胞のように、昆虫的に侵食してくるものだ。数字の上のマネーが、生きて血の通う人々とその環境をなぎ倒していくように。
この亡霊を、「人の作ったものなら人に変えられる筈」というのは、敵の強さを見誤ることで、ことはそんなに簡単ではない。それを「人が作った」などと軽く見ていては、簡単に踏み潰される。わたしたちは常に何者かに創造された被造物にすぎない。
その創造者が真の創造者か、ただの偶像なのか、そこだけが僅かな分割線になっている。

ただの市民運動ということでは、個人的には別段味方をする気はないし、そこに絡んでいる人たちも多分わたしのことが嫌いで、わたしもその人たちのことが嫌いだけれど、ある種の「ジハード」の一貫という意味では、この亡霊は殺さなければならないと思っている。

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